湯治場の人間がいくら「湯治」を語っても、実際体験した人の言葉には及びません。旅館大沼で実際に湯治をされた方の「湯治初体験記」じっくりお読みください。湯治の情景がよく伝わってくる投稿文です。

「大きな怪我と湯治体験を通して」     愛知 靖浩さん

1. 負傷

 私は大学時代に遊びで始めたバドミントンにのめり込み、現在は会社のクラブチームなどでバドミントンをしている。2002年6月2日のことだった。その日、とある町のバドミントン大会に出場していたが、好天気の中、閉め切った体育館の中は暑くなり大量の汗をかいていた。試合は競っていてファイナルゲームの最初のプレーだった。インターバルの間に”よし、気合入れて勝ちに行こう”と思った矢先、ジャンプして着地後前に向かって走り出そうとした左足は、何かにぶつかって弾かれるような痛烈な衝撃を受けた。特別に普段と違った動きをした訳ではなかった。コートの一番後ろでプレーをしていたので、絶対に、後ろの通路をたまたま歩いていた人とぶつかったと思った。そうであってくれ、と思った。倒れ込みながら、確か二度ほど後ろを振り返ってぶつかったことを謝ってくれている人を、と探したがそこには誰もいなかった。
「左アキレス腱断裂」
 アキレス腱断裂は、”ボールがぶつかったような”とか”誰かに蹴られたような”衝撃である、と聞いたことがあった。確かにその通りだった。

2. 出発

 暇さえあればバドミントンをしている私にとって、この怪我は衝撃的だった。1年半前に太ももの裏の筋肉を肉離れし、ようやく治った頃だった。自分の体が壊れて行く。もう思いっきり運動することはできないのだろうか。倒れ込みながらそんな思いが頭を駆け巡った。辛かった。が、すぐに思いなおすことができた。当日会場でプレーしていた人達が心配して駆け寄って来て、何人もの人達が声をかけてくれた。「俺も切ったから大丈夫だ」「切ってからも強くなれるぞ」。心強い励ましで何よりもあり難い言葉だった。そして、心の底から強く思った。「これからは、体の健康にとっていいことに積極的に取り組もう。そして、一からやり直そう」。
 入院、手術、リハビリ。しかし日常生活はおろか、歩くことすらままならない。それまで何気なく、本当に何気なく送っていた日常生活。そんな程度の生活すらできない。しかし普段の何気ない生活が”惰性”となってしまっている、ということをなんとなく感じながら、その問題に対し真剣に取り組むことなく生きていたことを、この怪我によって痛感させられる結果となった。自分が本気で取り組んでいるはずのスポーツでさえも、強くなっているという実感を得ることができずにいた。強くなるための練習よりも、ただプレーしたいという要求を満たすだけの状態が続いていたと思う。準備運動、整理運動、普段の柔軟運動、トレーニングなど、強くなりたいという目標に対し、きちんと必要なことをしていただろうか、否。そんな中、体の一部分が限界を超える。落ち着いて考えれば当然のことだった。だから、こんな機会だからこそ自分を変えたいと思った。惰性で歩いていくことができない、この機会に、、。

3. いざ湯治へ

 ”体にいいことをしたい”1週間、2週間、、1ヶ月と続いていく不自由な生活の中で、強く、心の底からそう思った。手術したアキレス腱が固くなり、また筋肉も低下してしまったため、特に足首が思うように動かない。手術をしても組織同士がある程度くっつくまでの暫くの間は衝撃により再断裂という事態もありうるので、リハビリはとても難しいものだった。特に私の場合、怪我をした時に周辺の筋肉も痛めたらしく、手術後にもかなり長い間、周辺に痛みがあった。そのため、焦らないように気をつけながらリハビリをしていたが、先生からは”もっと伸ばさないとダメだ”と言われる状態が続いた。手術して3週間。ようやく退院した。しかしその時の状態は、普通に歩くと5分くらいのところを20分以上かかってしまう、そんな状態だった。1ヶ月半が過ぎた頃、ようやく足に補助器具は必要なものの、普通より少し遅い程度で歩けるようになって来ていた。しかし、相変わらずアキレス腱が固くて思うように動かない。そんな時だった。”湯治してみようかな”ふと思った。温泉はとても気持ちがいい。特に体の調子が悪いときほど。旅行に行ける程度に回復したら温泉に行こうと思っていたが、より効果があると思うことをしたかった。そんなわけで、会社の休暇制度を使って一週間の湯治生活をすることになった。
 滞在中は、朝の起床後と夜の就寝前の2回、30分程度温泉につかりながら、アキレス腱のストレッチと踵上げのトレーニング。まだ手術部分の治癒具合に不安があったせいもあり、あまり荷重をかけてストレッチすることができなかったため”びっくりするほど伸びる”ということはなかった。しかし、湯治を始めた当初は手すりを使いながら一段づつしか降りることができなかった階段が、5日後にはなんとか交互に降りられるようになっていた。最初にたてた、その目標はごく自然に達成できていた。
 昼の間は、ご主人に”アクティブな湯治ですね”と声を掛けられたように、友人に借りた車で周辺のスポットに出かけてドライブと歩くトレーニングをしていた。もともと頑張りやさんではない自分の性格から、”自然に歩きたくなるところ”を探しに行っていたのである。その当時、まだまだ足が不自由で体の自由が利かず、ゆっくりとしか歩くことができなかったが、その分自然をじっくりと感じることができていた、と思う。普段と違った視線のおかげだろう。そう考えるとこの怪我も生きることを感じていく上での一つのきっかけであり、もとの状態に戻るまでのこの期間を有意義に過ごすことは、自分が成長していくためのよい機会なんだな、と素直に思った。
その中の大事な経験として、旅館大沼さんでの湯治生活は充実した一週間を与えてくれた、と非常に感謝している。

4. 私にとっての”湯治”

 ”湯治に行こう”と思った当初は、温泉旅館に篭ってひたすら温泉とリハビリ・・、と考えていた。湯治とは普通、そういうものなのだろうと思ったからである。しかしながら今回の湯治旅行は、折角東北に出向いたのだからと久しぶり仙台の友人に会ったところ”平日使わないから、車貸してやるよ”と言われその好意を受けることで大きく方向転換した。東鳴子や鳴子の温泉街は落ち着いた感じで、河原も澄んだ水、緑をたたえた芝生、自由に飛び回るトンボたち、、、足が不自由な私にとっては旅館の周辺をじっくり時間をかけて散歩するだけでも十分に楽しいと思った。しかし車で一足伸ばした先には、更にすばらしい世界が私を向かえてくれたのだった。
 普通の湯治か、朝晩の温泉以外はあちこちに出かけるか、どちらのタイプの湯治が足の回復にとって良かったのかは分からない。だがそれは今の私にとってはどちらでもいいことだった。少なくとも、一週間という期間ではあったが、朝晩の温泉を日課とし昼間はたくさん歩く、という自分自身の選択は、階段を普通に降りられるようになるという当初の目標は達成できた。更に周囲の見所を廻ることで東北の素晴らしさを満喫し、とても楽しい旅をすることができた。”また行きたいな”と思う所ともたくさん出会えた。恐らく、篭っ湯治をしていても同じように目標は達成できただろう。或いはもっと回復していたかもしれない。でも、今の私の気持ちのように”また行きたいな”今のような気持ちを持っていたかどうかは分からない。今後も体に疲れが溜まってそれが怪我や病気という形として現れる前に、時々は今回のように”旅行気分の湯治”をして体を癒して”体が持っている機能を十分に発揮できる状態に戻す”ということをしていきたい。

湯治は、体の機能を本来の状態に戻してくれる。
湯治は、心をリフレッシュしてくれる。
それだけの力がある。
あとは、そうしたいと自らが、心の底からそう思いそれを実行すれば、と思う。

5. 後記

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