腕白な時代を温泉宿で育ち、お客さんから「あなたは後継ぎですね」という言葉をかけられる度、自分の無意識に刷り込まれたのか、自分の中ではこの宿屋を継ぐことは自然なことになってゆきました。地元の中学・高校を卒業して大学は当時日本では唯一、観光を学科として持つ立教大学へ進学しました。大学4年の時には伝統の講座「ホテル・観光講座」を受講。この講座は観光学を学びたい他の学校や社会人の方も受講でき、熱のこもった雰囲気の中、受講生は一流の講師の方々の講義に耳を傾けていました。その年の同期生の中には日本を代表する名旅館、由布院「玉の湯」の桑野和泉さんもいました。私はどちらかというと大学での勉強は授業よりも、サークル活動(プロデュース研究会)や当時、マーケティング論の講師をされていた中原勲平先生を囲んでのたった3人の自主ゼミ「中原村塾」で学んだことのほうが後の私に大きな影響を与えたと感じています。卒業後は大学のOBが経営される伊香保の一流旅館「福一」さんに2年間お世話になりました。「福一」さんは大きな近代的な旅館で、とにかく猛烈な繁盛ぶりでした。私は同業といえどもまるで違う世界にいるようで、見るもの聞くもの全てに圧倒される毎日でした。特に女将の徹底したおもてなしの姿勢にはサービス業の厳しさを身をもって勉強させられました。立教大学観光学科卒業そして伊香保の一流旅館での修行と一見して私の跡継ぎ街道も順風満帆のように見えました。しかしながら、伊香保から帰った私を待っていたのは、歴史は古いが老朽化と経営不振に苦しむ我が家の姿でした。