ひたすら妹の健康回復を祈って過ごした5年間は、私にあることを教えてくれました。それは「起きることは全て意味がある」ということです。「どんな意味があるのか?」と問われても答えられませんが、私はそう信じるようになりました。そんな私が、「ひょっとするとこの温泉宿に生まれたのも何か意味があるのでは?」と考えるのは自然ななりゆきでした。私は別に運命論者でもありませんし、いくら跡継ぎといっても継ぐのが本当にいやであれば、ここから離れることもできたでしょう。私が今自己紹介するときに「社長」以外によく使う肩書きがあります。それは「湯守」という肩書きです。「湯守」とは文字通り湯を守る人です。つまり、私は昭和中期から平成にかけての大沼の伝統の湯を守り伝える役割の人であると自覚しています。私どもは、この地に湧く「温泉」という自然の恵みをお客様にご提供して生業をたてています。縁があってこの地に生まれ、この伝統の湯を守らせていただき、お客様のお役に立ち生活をさせていただけるということは誠にありがたいことだと最近つくづく感じています。そして、妹の病気の経験を通じて、健康というものの大切さを痛感した私がなによりも嬉しく思うのは、この温泉を通して皆様の健康に貢献できるということなのです。私が尊敬する札幌国際大学の温泉学教授、松田忠徳先生は温泉を「神の力を秘めた水」とその本質を喝破しています。まさに「温泉」は地球エネルギーのエッセンス、癒しの源なのです。そして私が見出した温泉の本質もまさしくそこにありました。